ルカ 22章
「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。」
(ルカ 22:19)
イエスさまが十字架につけられるに至った道行きを記す聖書の記事を読むたびに思うのは、イエスさまの十字架への道を開いたのは、人ではなく、主ご自身だということです。祭司長、律法学者たちは、イエスさまを殺す方法をいろいろ考えましたが、民衆の騒ぎを恐れて、過ぎ越しの祭りの期間中は避けようと決めていました。しかし、イエスさまは、過ぎ越しの祭りのときに、ご自分が十字架につけられて殺されると言われました(マタイ26:1−5)。ペテロは、死をも覚悟していると言い、刀を振るってイエスさまを守ろうとしましたが(ヨハネ18:10)、イエスさまが捕らえられたとき、3度、イエスさまを知らないと言いました。祭司長たちは、イエスさまを死刑にする罪状をひねり出そうとしましたが、見つけ出せず、行き詰ったとき、イエスさまが、ご自分が神の子であると宣言されましたので、神以外のものを神とする者は死刑とするユダヤ社会が納得する理由でイエスさまを死刑にする口実ができました。イエスさまが十字架上で死ぬ道はイエスさまが開かれたのです。最後の過ぎ越しの食事も、ペテロとヨハネに用意するように命じられましたが、場所も席も、すでに用意されていました。何らかの方法でイエスさまが用意させられていたのでしょう。その過ぎ越しの食事の席で、イエスさまは、弟子たちにパンとぶどう酒を与え、それがご自分のからだを与えご自分の血を流される罪の贖いによる救いのしるしなのだ、と語られました。このことを私たちは、今、聖餐式で覚えています。感謝し、御名をあがめます。
唄野 隆 |