ルカ 17章
「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、・・・。」
(ルカ 17:6)
今日の箇所も弟子たちに語られたことばです。まず、だれにでも、どんな小さい者にでも、つまずきを与えないように、注意せよ、と警告し、続いて、罪を犯した者を赦せ、と語られます。教会で認められ、奉仕者として大事な役目を与えられると、奉仕の業に気を取られ、あまり重んじられていない人を軽く見、ぞんざいに扱って躓きを与えたり、間違いを犯す者たちを許さず、批判し、さばくことが多いのではないか、注意せよ、と迫られる思いがします。キリストの弟子たる者にとって大切なのは、自己主張を捨て、身を低くして、報いを望まず、ひたすら主に仕える姿勢です。自分の信仰を増し加えてもらって自分の信仰を誇ろうとする自己主張や、自分のしたことを認めてもらい、報いを与えられることを期待するような態度は、主の弟子たる者にふさわしくない、信仰はあるかないかが問題で、大きいとか小さいとかが問題なのではない、と示されます。主は私たちに恵みを与えられますが、それをきちんと認めて、感謝を言いあらわすことが大切です。自分を省み、恵みを認識することに鈍く、感謝することが少なく、感謝を口にすることに怠慢であることを、痛感します。恵みに敏感な者にしてください、と祈りました。私たちは、神の国を待ち望む、と言いながら、真剣にその到来を待っていない、前兆があればそれから用意しようとする思いに捕らわれます。しかし、神の国は、前兆があってなどという悠長なことではなく、突然来る、日常生活がそのまま備えであるような人生を歩め、と言われているのだ、と聞きました。
唄野 隆 |