ルカ 4章
「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
(ルカ 4:8)
イエスさまがヨハネから洗礼を受け、御父の喜びのおことばを聞き、御霊に導かれて歩みだされた最初の経験は、サタンの誘惑でした。現代的に言えば、救い主として歩むなら、パンつまり経済力、世界を支配する権力、そして奇跡をもたらす霊的力を使えという誘惑でした。しかし、イエスさまは、人となり人と同じ道を歩んで人の救い主となるために、ただ聖書のおことばだけに拠って、主を崇め、主にのみ従い、主を信頼して歩む道を選ばれました。そして、故郷のナザレに行って、そこで、“主に油注がれ、主に遣わされて、人々に福音を伝え、罪に捕らわれている人々に赦免を告げ、自由を与え、主の恵みを伝える救い主が来るというイザヤの預言は今日成就した”と宣言されました。しかし、ナザレの人々は、イエスさまが同じ村のヨセフの子だと言って、イエスさまを尊びませんでした。自分たちの村の者は自分たちに仕えるべきだ、という姿勢でした。人はいつも、自分が中心で、自分が尊ばれることを求めるものです。しかし、私たちは、主を第一にし、主が遣わされた人を、主のゆえに大事にしなければならないのです。主を第一にし、主と共に歩む者には、不思議な権威がともなうものです。御父を仰ぎ、御父と共に歩まれたイエスさまには、悪霊も病も従いました。そのイエスさまの力に満ちた歩みは、イエスさまが、いつも、静かな時と所を見つけ出して祈りに励み、御父と共に過ごされる祈りから生まれ出たものでした。私も祈りを大切にします。
唄野 隆 |