今日の聖書一日一章からのメッセージです


2018年3月1日(木曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       詩篇 137篇

「エルサレムよ。もしも、私がお前を忘れたら、・・・。」
          (詩篇 137:5,6)

今日の詩編は、「バビロン川でのほとりで、シオンを思い出して泣いた」ときのことを歌っています。彼らは、長年、主を忘れ、無視した罪のさばきを受けて、国が滅び、エルサレムからバビロンに捕え移されていました。故郷のエルサレムを思って賛美をささげていたら、バビロン人が来て、面白がり、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったので、恥辱感に捕らわれ、悲しみに満たされ、湧き上がってくる怒りを抑えて、歌うのをやめ、そこにあった柳の木に立琴をかけたようです。彼は、「私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。」と言いました。賛美は主にささげるものと信じていたからです。エルサレムを思い、「エルサレムよ。もしも、私がお前を忘れたら、・・・もしも、私がお前を思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。」と叫びました。彼はバビロンにいることを嘆き、エルサレムに帰ることを切に求めていたことがわかります。彼のエルサレムを慕う思いが切々と伝わってきます。しかし、彼の目はバビロンやエルサレムという地に向けられていました。もしそれを超えて主ご自身に向けられていたらどうだったでしょうか。私たちも、自分の信仰が育てられたところを大事にしたいと思いますが、それを超えて主ご自身に目を向けたいと思います。そのときは、エルサレム陥落に関わった者たちにたいするここに記されているような激しい憎しみさえも、彼らをも救いたいと思われる主の愛によって変えられていくのではないでしょうか。

                           唄野隆



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