今日の聖書一日一章からのメッセージです


2016年7月6日(水曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      創世記 22章
 
「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
                      (創世記 22:2)

 アブラハムは、主から、“あなたから子が生まれ、あなたの子孫によって地上のすべての人々が祝福を受ける”と約束をいただきましたが、イサクが生まれたのは彼が百歳、妻サラが90歳のときでした。イサクは彼らにとって大きな喜びであり何ものにも代え難い宝でした。そのイサクを全焼のいけにえとして主にささげるように、主はアブラハムに命じられたのです。アブラハムはどんな気持ちだったでしょうか。聖書はそのことについて何も語っていません。ただアブラハムが主のみことばに従ってイサクをささげたことだけを記しています。しぶしぶか喜んでか、そんなことはどうでもよい、ただ従うか従わないかだけが問題なのだ、と示されます。アブラハムがみことばに従ってイサクをささげたとき、主は、主の使いを通して、「今、わたしはあなたが神を恐れることが良くわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と仰いました。彼の信仰を賞賛し、イサクに代わるいけにえを与え、アブラハムを祝福し、彼の子孫によって地のすべての人々を祝福すると約束されました。主を第一にする姿勢が主との親しい交わりを育てるのです。このことは、神さまが御ひとり子イエスさまを私たちに与えてくださった愛を指し示しています。「私も主を第一にします。」と祈りました。親が子を自分のものとせず主にささげる子離れが健全な親子関係を育てるのも配偶者を自分のものでなく主のものとして見ることが親密な夫婦関係を育てるのも、このアブラハムの経験と重なるのではないでしょうか。

唄野隆



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