今日の聖書一日一章からのメッセージです
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 9章 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちのうえに光が照った。」 (イザヤ書 9:2) イザヤがマヘル・シャラル・ハシュ・バズの預言を語ってしばらく後、その預言どおり、アッシリヤがアラムを滅ぼし、イスラエルに攻め寄せ、北部のゼブルンやナフタリの地を侵しました。しかしそういう苦境の中にあったイスラエルの民を主は顧み、イスラエル辺境の地で外敵侵入の暗闇が覆いかぶさっているガリラヤに光の福音を告げられました。主の福音は私たちの常識とは逆の姿で与えられることがよくあります。私たちは力ある指導者の下で幸せを得ることができると考えますが、主は無力な幼子による救いを語られます。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。・・・主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」この預言は後にイエスさまによって成就しますが、このときすでに、武力によらない主による平和の救いが示されたのです。しかし、彼らは誤解し、“煉瓦を砕かれたから切石で建て直そう、いちじく桑の木が切り倒されたから杉の木でこれに代えよう”と言って、自分の力を奮い起こし、自分たちの力で再建しようとし、主に立ち帰ろうとはしませんでした。“それゆえ、主は彼らの指導者も、みなしご、やもめも打ち据える、それでも主の怒りは去らない”と言われたのです。主は、彼らがまず自分の無力さを知って、主のみもとに立ち帰ることを望まれたのです。主の御許に立ち帰り、悔い改め、主の癒しを受け、そして、主によって立ち上がらせていただこう、と思います。 唄野隆 |