聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 8章 「私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みをかける。」 (イザヤ書 8:17) 前の章の出来事からしばらく後のことだと思われますが、イザヤは女預言者が生んだ子を、マヘル・シャラル・ハシュ・バズと名づけました。「分捕り物は直ぐに持ち去られる」という意味で、アッシリヤの侵攻を示しています。当時ユダでは、王アハズはアッシリヤと結ぼうとしていましたが、彼に反対してアラム・イスラエル連合に加わろうとする勢力もあったようです。イザヤは主を信頼して、静かにしているように勧めましたが、両勢力とも、それには耳を傾けませんでした。イザヤは、子に、「残りの者は帰ってくる」という意味のシェアル・ヤシュブという名をつけ(7:3)、ユダも滅ぼされ、捕囚となるが、彼らは帰ってきて主を信じる新しい国をつくる、というメッセージを伝えていました。アハズ王も、彼に対する敵対者も、ともに、いったん滅ぼされるというメッセージは受け入れられませんでした。ですから、イザヤは、「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水をないがしろにして、レツインとレマルヤの子を喜んでいる。」と、主に頼らず人間的な力に頼ろうとする愚を責め、“そんなことをしているから、もっと大きなアッシリヤの侵入を招いて滅びる、アッシリヤはユダにまで攻め込んでくる”と告げ、しかし「インマヌエル。その広げた翼はあなたの国いっぱいに広がる。」と語って、人に頼らず、人の言動に迷わされず、ただ主を信ぜよ、と勧めたのです。「主が御顔を隠されてもなお主を待つ信仰を与えてください。」と祈りました。 唄野隆 |