聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       イザヤ書 6章

「しかし、その中に切り株がある。聖なるすえこそ、その切り株。」
           (イザヤ書 6:13)
 
ユダの王ウジヤ王の時代、ユダは大いに栄えましたが、ウジヤは高ぶり、王であるだけでなく祭司のつとめも果たそうとして主に打たれ、その後は謹慎して、表向きの政治は、その子ヨタムにゆだねました。一方、民は繁栄に酔いしれ、信仰の純粋さを失い、道徳的にも堕落していました。しかし、国際的にはアッシリヤが勃興し風雲急を告げていたのです。そういう状況のなかでユダの将来を憂えたイザヤが、神殿に入ったとき、主は幻をもってイザヤにご自身をあらわされました。主は天使セラフィムさえ顔と足とを隠すほどきよい御方でした。その主を御前にして、イザヤは自分の罪深さに崩折れました。しかし、主は祭壇の上の燃えさかる炭を彼の口につけ、彼の罪が贖われたことを告げられました。そのとき、イザヤは、だれか主のために行く者はないか、と言われる主のみ声を聞いて、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と答えました。主の召しとわかると、彼はすぐに、主の召しに応えようとしたのです。彼の信仰と主への愛とが心に響きます。しかし、主は、彼が遣わされるユダの人々は、見ても見ず、聞いても聞かず、心で悟ることのない頑なな人たちであることをお告げになりました。そして、彼の語るべき主のみことばが、ユダの破滅を語るみことばであることを知らせられました。このメッセージを頑なな民に語るのですから、激しい反発と憎しみは覚悟しなければなりません。今日も、牧師、宣教師はこのような厳しい召しを受けて主のみ業に励んでいるのです。彼らのために祈らなければ、と思います。

                           唄野隆



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