聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       イザヤ書 5章

「(わが愛する者は、)甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。」
            (イザヤ書 5:2)
 
イザヤは、ここで、エルサレムとユダをブドウ畑にたとえ、彼らにたいする主の愛を歌いました。“主はぶどう畑を愛をもって世話し、甘いぶどうの実るのを待ったが、ぶどう畑は酸いぶどうをならせた、これでは、その畑を放置し、荒れるにまかせるしかない”と歌いました。“主は、ユダとエルサレムを愛し、彼らが主を恐れ、主に従って、義と公平に満ちた国となることを待たれたが、彼らは流血と叫びとを生み出した、これではユダとエルサレムとが亡びるままにまかせるしかない”と言うのです。イザヤは次の段落で、ユダとエルサレムの罪を数え上げました。まず、彼らが「家に家を連ね、畑に畑をよせている。」と彼らの力にまかせた貪欲さを上げ、そんな者は1ホメル(230リットル)の種を蒔いて1エパ(23リットル)の収穫しかない荒廃に見舞われる、とさばきを告げます。そして、朝から夜までの遊興、神を侮り「善を悪、悪を善」とする価値観の顛倒、「おのれを知恵ある者と見なす」傲慢、「酒を飲むことでの勇士」というような暴飲暴食、「わいろのために、悪者を正しいと宣言」するような不正、を責めます。最後に、彼は、こうなってしまったユダとエルサレムに、外国の軍隊が攻め込んできて、壊滅的な破壊をもたらす、と語ります。愛国者のイザヤにとって、どんなにつらい預言だったことでしょうか。彼の預言は、現代にそのままあてはまるような現実感があります。私も、「主よ。私たちを憐れんでください。」と祈らずにはおられません。

                           唄野隆



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