聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 箴言 25章 「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」 (箴言 25:2) 25章から29章までは「ユダの王ヒゼキヤの人々が書き写した」ソロモンの箴言です。ソロモンが遺した箴言のうちからヒゼキヤが書記官に編纂させたものでしょう。最初の「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」という箴言が心に響いてきました。私たちは、身の回りの出来事を見て、それがどういう意味を持っているのかわからないことがあります。しかし、主を仰いでそのことを思い巡らしていると、そのときは気づかなかった深い主のみこころにはっと気づかされることがあります。私も、若いとき、腎炎で入院し、医者に一生直らない、と宣告され、なぜ?と思ったことがありましたが、後で振り返ると、そのことのゆえに主を求め、やがて救い主に出会ったのです。隠された主の深い摂理を探り知り、それを示して人々に生きる希望を与え、日々の勤めに励む力を育てる人が指導者に立つと、それはどんなに大きな祝福をもたらすことでしょう。王を持ち上げ、王がへりくだって主のみころを探り知ることを妨げる悪者、他人に対して横柄な態度をとり自分を変えることを拒否する傲慢、などの「かなかす」をとりのぞき、へりくだって主のみこころを探り求める純な者となりたいものです。しかし、私たちの心の中には、自分を善しとする高慢がすぐに入り込みます。「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ち壊された町のようだ。」という箴言を覚え、「私の心を制して、へりくだる心を求める者としてください。」と祈りました。 唄野隆 |