堺大浜キリスト教会聖書一日一章
イザヤ書 3章
「まことに、見よ、万軍の主、主は、エルサレムとユダから、ささえとたよりを除かれる。」
(イザヤ書 3:1)
2章に続くエルサレムに対するさばきの預言です。エルサレムは食料や水の備えは十分な町でしたが、“そのパンが奪われ、水もなくなる、勇士と戦士もいなくなり町を守る軍事力は消滅する、さばきつかさと預言者、占い師や長老も奪われ、民は精神的支えを失う、五十人隊の長と高官、議官と賢い細工人、巧みにまじないをかける者が取り去られ、国としてのまとまりがなくなる、「わたしは若い者たちを彼らのつかさとし、気まぐれ者に彼らを治めさせる。」という預言のように、国を治める気概も能力もなくただ自分の名誉と利益だけを求めるような者が国の支配者となる、民は、自分たちの中で少し力のありそうな人を見つけると、自分たちを治めてくれと頼むが、彼らは、私にはそんな力はない、私を支配者にするようなことはしてくれるなと断る、そのような時が来る”。イザヤはこう語ります。そして、それは「彼らの舌と行いが主にそむき、主のご威光に逆らったから」だ、と告げます。主にたいする信頼を捨て、主の道を外れ、自分の思うように生きる民は、このような道を歩むことになるのです。しかし、この民を主はなお「わが民」と呼び、彼らをこのような道に導いた指導者たちをさばき、彼らを救いに導いてくださるのです。エルサレムの支えを除かれるのは、エルサレムを自分の力に頼らず、主に頼るようにさせるためだったのです。厳しいさばきの預言の奥に潜む、何とか彼らを救いたいとの主のみこころをしっかり受け止めようと思います。
唄野隆
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