聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 箴言 26章 「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」 (箴言 26:12) いろいろな箴言が並んでいますが、愚か者、怠け者、陰口をたたく者についての箴言が目を引きます。“愚か者に名誉はふさわしくない、彼を用いれば傷を受ける、愚か者が箴言を語っても不似合いだ、愚か者を相手にするな、・・・”と勧めながら、それに続けて、「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」と高慢の災いを語ります。自分自身をどう見るかによって私たちの人生がどうなるかが決まります。神のかたちに創造された尊い存在である私、それにもかかわらず罪を犯し死に捕われている惨めな私、そして、イエスさまの血によって贖われ、主とともに歩み、神の栄光のために生かされている大事な私、をしっかり認識するなら、主を仰ぎ人と和らぐ人生に導かれます。怠け者についても、その愚かしさをユーモラスに描きながら、「なまけ者は、分別のある答えをする七人の者よりも、自分を知恵のある者と思う。」と語っています。自分は正しい、自分には知恵がある、と思っている人には成長がありません。自分の罪を知り、それを嘆き、罪の赦しを求める人に、イエスさまの血による罪の贖いの救いが与えられるのです。自分の罪を認め、悔い改めてイエスさまを信じることから信仰が始まります。罪の悔い改めのないところに真の信仰はなく、人格の成長はありません。そのように自分の罪を問題にしている人は、人の陰口をたたく余裕などなくなるはずです。そこでは争いも消えるでしょう。 唄野隆 |