聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       詩篇 144篇

「幸いなことよ。主を己の神とするその民は。」
           (詩篇 144:15)

詩人はまず「ほむべきかな。わが岩である主。」と賛美し、「主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる。」と歌い、「主は私の恵み、私のとりで。」と告白し、「(主は)私の民を私に服させる方。」とほめ歌います。力にすぐれた王としての自覚が感じられます。ところがすぐ続けて、「主よ。人とは何者なのでしょう。・・・人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。」と告白します。彼は王として国を守り民のかしらに立っていたのですが、自分に力があるからだとは思わず、自分自身は弱い人間だが、主が王として立て、守ってくださっているから、国民がつき従ってくれているのだと認めていたのです。その謙虚さが心を打ちます。この謙虚さから、彼は、周りの外敵から攻められたとき、自分の力に頼って奮い立つよりも、まず主に向かって救いを祈り求めました。「主よ。あなたの天を押し曲げて降りてきてください。」と天来の助けを求めて祈りました。その祈りのうちに、主の勝利と救いを確信して、主を賛美しました。そして、その王の下で、彼の家、あるいは彼の王国が主の御祝福を受けるように願い求めました。子どもたちが立派に育ち、富が増し加わり、羊の群れが増え、牛が子牛を生み、失われるものはなく、町々が平和と喜びに満ち溢れるように、と祈ったのです。そして「幸いなことよ。このようになる民は。幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。」と歌いました。真の幸いの基礎は“自分の力に頼るのでなく主を恐れ主によりすがるところにある”と示されます。

                           唄野隆



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