聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                        箴言 21章

「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」
             (箴言 21:1)

 1節のことばは見事に主の主権性を言い表しています。大水が流れ出すとだれもそれをとどめることができません。そのように、古代の王はだれにも妨げられず自分の思うように事を進めることができました。しかし主はその王の心をもご自分の思いのままに導かれるのです。ペルシャ王クロスをユダヤ人解放に向けさせられたのは主でした(2歴代36:22,23)。ローマ皇帝アウグストの勅令で、ヨセフは身重のマリヤを連れてベツレヘムに行き、そこでイエスさまが誕生しました(ルカ2:1−7)。すべて主の預言のとおりでした。クロスもアウグストも主のみこころを知って従ったのではありませんが、いつの間にか主のみこころを行うように導かれていたのです。すべては主のみこころどおりに進みます。そこには主の最善が隠されています。しかし、人は自分で善いと思うことを追求します。そして、「自分の道は正しいと思う。しかし、主はその人の心の値打ちをはかられる。」のです。人の心の中にはいつも自己中心や自己防衛、自利追及の罪が紛れ込んでいるものです。ですから、へりくだって、自分を吟味し、罪を告白し、真実を求めて歩む人を主はよろこばれます。しかし、自分は正しいと言い張り、高ぶり、おごり、争い、賄賂を使ったりごまかしたりする者を主は嫌い、さばかれます。彼らは、一時はうまくいくように見えても、最後は滅ぼされます。「自分の心の執着から解き放たれ主のみこころを求める者にしてください。」と祈りました。

                            唄野隆



Copyrihgt© 2004-2014 Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.