聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 箴言 9章 「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい。」 (箴言 9:6) この章には、知恵と愚かな女が、どちらも、「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい。」と同じことばで人々を招いている姿が対比されています。知恵はイエスさまを示し、愚かな女はサタンを擬人化したものと考えると、よくわかります。知恵は、神殿のような立派な家を建て、いけにえをほふり、豪華な食卓を用意し、小娘を遣わして、人々をその饗宴に招きます。主を礼拝する交わりへの招きです。それも、わきまえのない者、思慮に欠けた者まで招いて、彼らに「わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道をまっすぐに歩みなさい。」と語りかけます。イエスさまは、私たちを、「すべて、疲れた者、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。」と招いてくださいました(マタイ11:28)。他方、愚かな女に擬されたサタンは、同じことばで人々を招き、「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい。」と誘います。確かに、欲望に従い、ちょっぴり悪に手を染め、それがだれにも知られないとなると、黒い魅力を感じます。しかしそれは死に至る道です。知恵の招きに応じて、悟りを得、まっすぐに歩むのが、真の幸いに至る道なのです。でも、そうとわかっていてもなかなかそれに素直に応じられず、せっかくの忠告をあざけって退け、相手を傷つけることが多いのが人間の現実です。私たちには、自分の間違いを認めて、それを改める柔らかさが欠けているのです。主の招きに素直に応じることができるよう、御霊の助けを切に祈り求めました。 唄野隆 |