聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                         箴言 8章

「知恵は呼ばわらないだろうか。英知はその声をあげないだろうか。」
              (箴言 8:1)

「知恵は呼ばわらないだろうか。英知はその声をあげないだろうか。」という問いかけではじまり、知恵は「丘の頂、道のかたわら、通り道の四つかどに立ち、門のかたわら、町の入り口、正門の入口で大声で呼ばわって言う。」と、熱心な知恵の語りかけを伝えます。知恵は、主が世界を創造される前から主とともにあり、創造の前から存在し、主とともに創造の御業を進められたと語られていますから、神のことば、御子イエス・キリストのことを指していることがわかります(ヨハネ1:1−3)。知恵は、私たちのところに来て、いたるところで、私たちに向けて力いっぱい語りかけてくださっているのです。「わきまえのない者よ。分別をわきまえよ。愚かな者よ。思慮をわきまえよ。聞け。わたしは高貴なことについて語り、わたしのくちびるは正しいことを述べよう。わたしの口は真実を告げ、わたしのくちびるは悪を忌み嫌う。」と。知恵の語ることはいつも正しく、聞く者に分別と思慮を与え、彼を生かします。個人でも、王でも。それは永遠の昔から確かな真理のみことばです。そのみことばを退け、知恵を憎む者は、死に向かう道を歩んでいるのです。しかし、なぜ、知恵である主はこのように熱心に語りかけられるのでしょうか。それは、私たちが皆、生まれつき、自分に捕らわれ、ひとへの配慮に欠け、真理に逆らい、悪を愛する傾向をもっているからです。自分をかえりみてみても、正しい教えより何かしら陰りのあるものに興味をもつ傾向があることを感じます。悔い改めて主の教えに耳を傾けよう、と思います。

                           唄野隆



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