今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                         箴言 1章

「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は智恵と訓戒をさげすむ。」
              (箴言 1:7)

箴言の箴は針灸のはりの意味です。“つぼ”に針を刺して刺激を与え、健康を回復し増進するように、私たちの生き様の問題点に気づかせ、健全な信仰生活に導くためのことばを集めたものです。イスラエルでは、預言者が主のことばを伝え、祭司が主への礼拝を導き、知恵ある者が信仰生活を導く知恵を与えました。その知恵ある者のことばを集めたのが箴言です。ソロモンのことばがいちばん多く含まれています。はじめに 、“悟りのことばを理解し、訓戒を体得し、分別を得、思慮を身につけるため”と箴言を語る目的が語られます。箴言を聞くとき、“わきまえのない者は分別を授かり、若い者は知識と思慮を得、知恵ある者は理解を深め、悟りのある者は指導を得る”のです。若い者から成熟した人まで、誰もが、その段階に応じて成長するのです。信仰生活においては、完成はありません。絶えず主に向かって成長します。主の世界は“もうわかった”ということができるほど底の浅いものではありません。年をとっても成長を求めることが大切です。成長する信仰生活にとって大切なのは、「主を恐れ」、「訓戒と教えに聞き従う」ことです。しかし訓戒を聞き、教えに従うことは難しいことです。主を擬人化した「知恵」は「わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。」と嘆いています。「聞き従うことを好まない古い私から私を解き放ち、主を恐れ、主のみことばに喜んで聞き従う者としてください。」と祈りました。

                           唄野隆



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