聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       詩篇 131篇

「乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前にいます。」
            (詩篇 131:2)

私たち日本人クリスチャンは、クラーク博士の「青年よ。大志を抱け。」ということばが好きです。そして大きな志を持とうとします。しかし人間的な大志は傲慢と隣り合わせです。“主のためにという看板”の陰に強烈な自己主張がかくれていることが多いようです。この詩人はその危険を感じて、「及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。」と歌ったのでしょう。しかしクラーク博士は「大志を抱け」の後に「キリストにあって」と加えたと伝えられています。キリストの前に出るとき、私たちは自分の罪に打ちひしがれ謙虚になって主の贖いを受けます。そのとき主ある平安に満たされそこから「キリストにある大志」を抱きます。イエスさまは「全世界に出て行き、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われました。全世界すべてのものをキリストに従わせるのは御父のみこころです(1コリント15:27)。主の御前で、たましいが和らげられ、心が静められるとき、私たちは、イエスさまにあって天地万物の救いを求める“大志”を抱くことができます。だが、まず、主であるイエスさまのところに行き、罪の贖いの宣言を聞き、神の子とされた確信をいただいて、主にあって神の御前に安らぐ必要があります。私も、この詩人とともに、「乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前にいます。」と告白し、そして主にある大志を持たい、と思います。

                           唄野隆



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