聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 詩篇 127篇 「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」 (詩篇 127:1) この詩篇からは、“お前の人生の主はだれなのか、お前なのか、主なのか”との問いかけが聞こえてきます。私たちは、“自分の人生は自分のものだ、だから自分で目標を定め、自分で努力して自分の人生を歩むのだ”と思いやすいのですが、自分で自分の人生を切り開いていこうとすれば、たいへんな緊張があり、厳しい努力が必要です。しかも、絶えざる不安にまといつかれます。しかし、詩人は、“主の民は、主が備え、主が守り育ててくださる人生を歩むのであって、自分たちが眠っているときも、気がつかないときも、主が守ってくださり、導いてくださるのだ”と歌います。そういう人生を歩むとき、子どもたちを主の賜物と見、その成長を感謝し、その子を誇りとすることができるのです。自分の思うように子どもを育てようとすると、自立を求める子と衝突し親も子も苦しみます。私たちの人生の主は主であり、主が私たちの人生を全うさせてくださることを覚えます。イエスさまも、「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。・・・」とお語りになりました(マルコ4:26−29)。私の人生の主は主だと受け止め、主が自分たちを守り育ててくださることを信じ、主が示されることに全力をあげて励む一方、自分で何とかしなければと緊張することなく、主が私に託された仕事を主が成し遂げさせてくださると信頼し、安んじて、与えられたつとめに励もう、と心を定めました。 唄野隆 |