今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       詩篇 120篇

「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」
                      (詩篇 120:1)

120篇から134篇までの詩篇は「都上りの歌」と言われます。エルサレム巡礼の旅で歌われた賛美集でしょう。120篇は、「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」という告白から始まります。詩人は昔、苦しにおちいっていたとき、主に祈って救いを経験したことがあったのでしょう。そのことを思い出してこの詩篇を歌ったものと思われます。その信仰体験が彼の歩みの土台でした。私たちにとっても、初めて主を知ったときや悔い改めて救い主に出会ったときなど過去の信仰体験を思い出し、改めて罪の赦しや主の恵みを確認することが、確かな信仰生活の土台になります。いつも主の恵みを思い出す者でありたい、と思います。このとき、彼は、偽りの唇、欺きの舌に悩まされていました。欺きの舌は人を傷つける矢を射掛けます。私たちも、権力者たちが自分たちの都合の良いように情報を操作する、安心して政治や経済の重要問題を任せられない社会に住んでいます。この詩人は、メシェクやケダルなど、遠く離れたところで、平和を憎む者たちの間に住んでいました。メシェクは今のトルコの東の方、ケダルはシリヤからメソポタミア、いずれもユダヤ人から見れば地の果てでした。そこで、彼自身は平和を願っていたのに、争いを好む人々に取り囲まれていました。私たちも、私たちの故郷、天の御国から遠く離れたこの世に、競争が進歩の元だという人々に囲まれ、いつも揺れ動いている社会で、日々、不安にまといつかれて過ごしています。この詩人とともに、主を見上げて、祈ろうと思います。

                 唄野隆



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