聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                        詩篇 94

「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみ教えを教えられる、その人は。」
                   (詩篇 94:12)

 詩人は、「復讐の神、主よ。」と祈りだしました。復讐の神、とはなんとも恐ろしい呼びかけです。しかし、これは、 “私が苦しめられたから仕返しをしてください”と求めるためではなく、“正しい者には祝福を、悪をなす者にはさばきを、それぞれにふさわしく報いてください”と願う祈りなのです。主が正しくさばかれるということが私たちの歩みを正す土台だからです。しかし、この世には、神の報いを考えず、なんでも自分の思うようになると思って、好き勝手に歩み、自分の願いをはたすために、在留異国人ややもめ孤児など弱い者を踏みつけにして平気な人々が多くいます。彼らは、“神は見ていない、気づかない”と思っているのです。しかし、人に見る目を与え、聞く耳をお与えになった神が、人がどんなに上手に覆い隠したとしても、それに気づかず、その悪い行いを見過ごしてしまうと考えるのは愚かなことです。主はしっかり彼の悪を調べ、彼が今その報いを受けていないとしても、やがて彼が落ち込む穴を今、掘っておられるのかもしれないのです。主は必ず、悪をさばかれます。そして、降りかかる災いの中に主のご叱責を認め、悔い改めて自分の道を正す人を見守り、彼を見捨てず、彼に平安を賜わります。主は彼の避け所の岩となってくださるのです。その人のことについて、詩人は「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみ教えを教えられる、その人は。」と歌いました。私も、そういう人でありたいと思います。

                            唄野隆



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