聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 詩篇 32 「私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」 (詩篇 32:5) この詩篇は、ダビデのマスキールという表題から、ダビデがバテシェバ事件の後、罪を告白して主の赦しを経験したときのことを歌ったものだと考えられます。詩人は、“自分の罪を覆い隠して黙っていたとき、主の御手が重々しくのしかかって、一日中、うめいて、骨まで疲れ果てる状態だった、そのとき、主に自分の罪を告白するように導かれ、そうしたら、主が赦しを宣言してくださった、それは何という幸いな経験であったことか”と歌いました。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いな人よ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。」と、罪の赦しの経験の絶大な幸いを歌い上げました。私も、聞いて、「アーメン。」と唱和します。自分の罪を覆い隠し、何かしらの償いをして、何事もなかったかのように通り過ぎようとするのが私たちです。しかし、主に罪を告白し、主から赦しをいただいて、心から晴れ晴れと歩むように、主は私たちを招いてくださっているのです。感謝です。肝要なのは、自分の罪を認め、主に罪を告白することです。その機会は限られています。「主にお会いできる間」だけです。しかし、その道に、主は私たちを導いてくださっているのです。「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしは、あなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」と言ってくださっています。「悟りのない馬や騾馬のように」心を頑なにせず、主に罪を告白する者でありたいものです。 唄野隆 |