聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                        詩篇 46

「やめよ。わたしこそ主であることを知れ。」
                  (詩篇 46:10)

 詩人は、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」と歌いだし、最後に「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。」と締めくくりました。彼は、“降りかかる困難の中、山が海の中に崩れ落ち海が荒れ狂うような大混乱の中、主の御前に出て静まったとき、主が不思議な安らぎを与えてくださった、状況は敵の大軍に囲まれ絶望的であったが、都はきよらかな川が流れ、命に溢れた木々が生い茂り平和であった、そこで主に祈って眠りにつき、夜があけると,取り囲んでいた敵軍が滅び去っていた”というような情況を経験したときにこの賛美をささげたのでしょう。イスラエルの歴史上の事件では、ヒゼキヤに率いられたユダが,アッシリヤ軍の包囲から救い出されたときの出来事がこれに符合します(2列王記18、19章、イザヤ書36,37章)。この詩を聞いて心に響いてきたのは、この詩人が、この素晴らしい経験を自分のものとすることができたのは、彼が、敵に包囲された絶体絶命の状況を見て怖じ惑うのではなく、主の御前に来て静まり、主に目を注いだとき、主が主のなさることに目を留めるように彼を招き、彼がその主の招きに応えたときであった、ということでした。彼は、「来て、主のみわざを見よ。」と叫び、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」と歌っています。「やめよ。」というのはNIVでは、「静まれ。」と訳されています。主を仰ぐことが安らぎの道です。私も、困難な情況に振り回されず、主の御前に出て、静まって主を見上げます。

      唄野隆



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