今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                         詩篇 6

「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。」
                     (詩篇 6:8,9)

詩人は「主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。」と祈っています。彼は、何か罪を犯し、その結果としての苦しみを、主の懲らしめと受けとめながら、主に向かって、“私は衰えています、恐れています”と苦しみを訴え、“あわれんでください、癒してください”と願っているのです。主の懲らしめを受け入れながら、「いつまでですか。」と問いかけている祈りのなかに彼の信仰がうかがえます。彼は不平不満をぶつけているのでなく主を信じているのです。主のさばきと受けとめながら、“このまま死んでしまえば主をほめたたえることはできません、帰ってきてください、助けてください、救ってください”と訴えます。自分を苦しみから解き放ってくださいという自分のための救いでなく、主をほめたたえるための救い、主のための救いを求めたのです。お前の祈りは自分のことだけを求める祈りになっていないか、主のご栄光を求める祈りになっているか、と問われます。こう祈っているうちに、突然、彼は叫び出します。「不法を行う者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。」苦しみが取り除かれたからではなく、苦しみは続き、涙は絶えないが、その泣き声を主が聞いてくださったと知ったとき、感謝と喜びが湧き上がってきたのです。どんな状況でも、主が聞いてくださっているという確信が私たちを生かすのです。

      唄野隆



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