聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 ヨブ記 29章 「昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。」 (ヨブ記 29:2) ヨブが語り終え友人たちが答えるのを断念したとき、ヨブは、友人たちに立ち向かうことをやめ、自分自身に目を向けました。しばらくの沈黙があって、彼は「昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。」と言いました。幸せだった昔の日々を思い出したのです。彼がそう言うことができたのは何故だったのでしょうか。第一は、彼の置かれていた情況でした。彼は神の語りかけを聞いて光の中を歩み、豊かで、良い家族に囲まれ、人々の尊敬を受けていたのです。彼のそういう状況を生み出した根拠は彼の正しい生活でした。彼は、貧しい者やみなしごを助け、義を行い、不正を受けて苦しんでいる人を回復させるなど、立派な行いをしていたのです。ここでは、神さまが守ってくださる幸せな人生とは恵まれた環境という条件が満たされていることであり、良い行いを根拠にして得られるものだ、とされています。しかし主は、ヨブに、目に見える条件に左右されず、人間的な根拠を必要としない、本当の幸せを見せたかったのではないでしょうか。それは主ご自身との直接の交わりです。だからこそ、主は、そういう条件が取り去られたら神を呪うだろうと言ったサタンの挑戦に応じ、サタンがヨブを撃つのを許されたのではないでしょうか(1:8〜12、2:3〜6)。この幸いこそ、今、私たちに与えられている、“良い業によらず、ただイエス・キリストを信じる信仰によって与えられる幸い”なのです。感謝です。 唄野隆 |