聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      ヨブ記 25章

「ああ、神の目には月さえも輝きがなく、星もきよくない。ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである。」
                   (ヨブ記 25:5,6)

ヨブが、“正しい人が苦しみを受け、悪人で栄える者がいるのはなぜか、神はさばきを語られたが神を知る者たちはその日を見ない”と神に向かって疑問をぶつけ不満を吐き出すのを聞いて、ビルダデは、“神は人の思いをはるかに超える超越者で、その高きところで平和をつくられる、人は神の前に神が満足されるほどきよくありえない、人間はうじや虫けらに過ぎない、神に向かって文句を言うなどとんでもない”とヨブを断罪しました。彼の言う神の至高性、人の虚しさは、間違いではありませんが、神と人とを切り離す冷たい響きをもっています。人をうじや虫けらだと軽んじることばは、聞く者を生かすどころか殺す力をもっています。聖書はいたるところで神の絶対性、超越性を語りますが、同時に、その絶対的超越者なる主が人を大切にし、人を愛し、人と関わりを持とうとしてくださることを語っています(イザヤ41:14)。主の前に出たとき、人は、主が絶対的超越者であり自分はうじや虫けらにすぎないと感じると同時に、そんな自分を主が大切な者として目を留め、高価な代価を払って贖ってくださったというみことばを聞いて、感動し、主のために生きる力を与えられるのです。詩篇作者は「人とは何者でしょう。あなたがこれを心に留められるとは。」(詩篇8:4)と歌い、使徒パウロも「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。」(2コリント6:18)と父なる神が語られたことを語っています。感謝です。

       唄野隆



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