今日の聖書一日一章からのメッセージです
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 ヨブ記 23章 「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。」 (ヨブ記 23:3) ヨブは、友人たちとのやり取りに疲れ果て、人間相手に訴えても無駄であることを知りました。それで「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい。私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。」と言いました。しかし、ヨブには、神さまがどこにおられるかわかりませんでした。「ああ、私が前に進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。」しかし、彼は、神が自分に心を留めてくださることを信じ、自分の潔白をわかってもらえると思っていました。ですから「神は、私の行く道を知っておられる。・・・私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。」と言うことができたのです。でも、静かに考えているうちに、自分の報いを決められるのは神であり、人はそれを変えることができない、今の状態も神が決められたことであって、それを翻すことはできない、という思いに引かれていき、「だから、私は神の前でおびえ、これを思って神を恐れている。」と言いました。神がすべての出来事の主権者であって、人の願いや求めによらず御自身の欲するところに従って事を決められる、と信じるのは正しいことですが、それだけでは人は安心や喜びを得られません。その神が私たちを愛し、私たちの最善をなし給う主であることを知ることが大切です。それは日々の主との交わりの中で確信できるものなのです。 唄野隆 |