聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 ヨブ記 7章 「どうして、あなたは私のそむきの罪を赦さず、私の不義を除かれないのですか。」 (ヨブ記 7:21) ヨブは友人に訴え、苦しさを吐き出します。肉体が腐っていく、私の日々は空しく過ぎ去る、と嘆きます。しかし人にいくら訴えても空しい、と気づき、神に訴えはじめました。苦しみの中で神に目が向いたのです。背後に神の働きが感じ取れます。神の御手の中で生きていることがわかるとき、人はどんな苦しみの中でも慰めを得、励ましを感じることができます。しかしヨブはまだ神が自分に愛の目を留めてくださっているとは確信できませんでした。私を思い出してください、と祈りました。“私の命ははかなく、神が目をとめようとしてももういなくなるでしょう、私は海の怪獣のように強くはありません、弱い者です、それなのに、あなたは夜も夢幻で私を恐れさせ、休ませてくれません、死にたいと思います、もうほっておいてください”と訴えました。目を留めてくださいと祈りながら、ほっておいてくださいと祈っています。苦しみの中からあふれ出る思いは激しく動揺し首尾一貫しないものです。しかしこれが苦しむ者の現実です。ヨブは苦しみを神に訴えているうちに神との関わりを最も深いところで妨げているものに気づきはじめました。罪です。彼には隠している罪の自覚はありませんでした。ですから、“あなたは私の気づいていない罪を責め立てられるのですか、どうして赦してくださらないのですか”と訴えました。しかしその根源的な罪の赦しがなければ真の安らぎは来ません。それは、イエスさまの贖いによって与えられるものなのです。 唄野隆 |