聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 ヨブ記 6章 「私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神の思し召しであるなら、私はなおも、それに慰めを得、・・・。」 (ヨブ記 6:9、10) 3人の友が七日七夜、ただ黙って、彼とともに過ごしてくれたのを見たヨブは、彼等の友情に安らぎを得、心開かれ、それまで抑えに抑えていた苦しみを溢れるように吐き出しました。それを聞いた友人たちは激しく揺さぶられ、まずエリファズが口を開きましたが、天上における神とサタンのやりとりを知らない彼は、自分の信奉している勧善懲悪の教えにより、信仰深いヨブがこんなにもひどい苦しみにあうのは、何か隠れた罪があるからだろうと考え、彼がそのことに気づき、悔い改めて、回復されるのを助けてやろうと考え、ヨブを諭そうとしました。その話を聞いたヨブは、がっかりしながら、語りだしました。彼は、“何故、神がこんな苦しみを許されるのかわからない、そのことについての神のみこころがわかれば、それが自分の命を絶つことであっても喜んで受け入れる、しかし、それが何故なのかがわからない、その苦しみから激しいことばがあふれ出たのだ”、と語りました。ヨブにとっては神とのかかわりが何よりも大事だったのです。私はそのことを本当に理解しているだろうか、と問われました。ヨブはまた、その苦しみは、そのまま受け止められるとき慰めを得ることができるが、3人の友は、そうしてくれなかった、と訴えました。「落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。」苦しむ人の苦しみを受け止めるよりも助けようとする思いに鋭い反省を迫ることばです。心して聞かねば、と思いました。 唄野隆 |