聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エズラ記 3章 「・・・は、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。」 (エズラ記 3:2) バビロン捕囚から解かれてエルサレムに帰った民たちは、第七の月、エルサレムに集まって、モーセの律法の書に記されているとおり、主に全焼のいけにえをささげました。回復された主の民として、まず主を礼拝し、主に身をささげる歩みを始めたのです。大祭司ヨシュアと、総督ゼルバベルが先頭に立ちました。彼らは、まず祭壇を築き、モーセの定めどおりに、朝と夕、その上で全焼のいけにえをささげました。仮庵の祭りを祝い、常供のいけにえ、新月の祭りのいけにえ、主の例祭のいけにえをささげました。すべて定めどおりにしました。そして、主の宮の工事に取り掛かりました。石工や木工、外国からの労働者にも、食料や金銀を与え、工事の監督官を選び、民を組織して作業を進めました。皆、主を賛美して働き、主の宮の基礎工事を完成しました。そのとき、民は集まり、主を賛美し、喜び叫びました。喜びの賛美と、栄華を極めていた頃の宮を覚えていて泣き悲しむ叫びが混じりあい、喜びの声と嘆きの声とは区別がつきませんでした。このときのイスラエルの主を第一にする姿勢は感動的ですが、罪のためのいけにえのことが記されていないことに危惧の念を覚えるのは私だけでしょうか。悔い改めがあってはじめて献身が実を結ぶことを覚えます。罪の自覚のない奉仕は傲慢に向かう危険があります。“罪を悔い改め、罪の贖いを成し遂げて救ってくださる救い主を信じて、主に身をささげます、主のために生きる新しい歩みに導いてください”と主に祈りました。 唄野隆 |