今日の聖書一日一章からのメッセージです
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 2列王記 23章 「それにもかかわらず、・・・。」 (2列王記 23:26) ヨシヤは、宮で発見された律法の書を聞き、女預言者フルダのことばを聞いて、主の前にへりくだり、泣きました。それをご覧になった主は、ユダにたいするさばきを延期されました。その後、ヨシヤはユダとエルサレムの長老たちを呼び集め、彼らに主の律法の書を読み聞かせ、彼らはその律法の書に記されている契約のことばを実行すると誓い、ユダの全国から偶像と偶像礼拝の道具、そして偶像に仕える祭司たちを一掃しました。そのとき、昔、ヤロブアム王が祭壇をつくったとき、ユダから来た神の人が、やがてヨシヤが現れ、その祭壇の上で人骨を焼き、祭壇を汚すと預言したことば(1列王13:2)が実現しました。主のことばは必ず成就するのです。この働きを先導したヨシヤの信仰と誠実さを、聖書記者は、「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも、彼のような者は、ひとりも起こらなかった。」と高く評価しましたが、「それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行いのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。」と言います。善き業は評価されても罪を贖う力はありません。しかし、砕かれた悔いた心を主は顧みられます(22:19、詩篇51:17)。また、民の悔改めは王に従う外面的な形だけの悔い改めで、心からの悔い改めにはなっていなかったようです。うわべの形だけでなく、心の底からの改め与えてください、と祈りました。 唄野隆 |