今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     2列王記 21章

「主は、そのしもべ預言者たちによって、次のように告げられた。」
                    (2列王記 21:10)

ヒゼキヤが死んで彼の後を継いだのはマナセでした。そのとき彼は12歳でした。彼はヒゼキヤが奇跡的に癒され15年の命を与えられてから3年目に生まれたわけです。マナセとは、「すべての労苦を忘れさせた」という意味の名です(創生記41:51)。マナセが生まれたとき、ヒゼキヤはほっとし、マナセを甘やかせたのではないでしょうか。また、バビロン王の使者を迎え、バビロンの力を借りてアッシリヤに対抗しようとし、ひたすら主にすがる信仰の緊張の糸が緩んでいたのではないでしょうか。そのような中で育てられたマナセは王になったとき、不安で仕方がなかったのではないでしょうか。はっきり信じるべき御方としっかり結ばれていないと、人は何にでも頼りたくなるものです。マナセは、ユダ歴代の偶像礼拝を行なったどの王よりも激しい偶像礼拝に走りました。イスラエルの王たちにも、先住民たちにも見られないほどの偶像礼拝に走り、罪のない人たちを殺しました。主は、こんなマナセをごらんになって、預言者たちを送られました。主は激しい口調で、彼と彼の国ユダの滅亡を告げられました。しかし、その激しさのなかに、彼らにたいする煮えたぎる愛が感じられないでしょうか。愛するからこそ激しい口調で厳しいさばきを告げ、悔い改めを求められたのではないでしょうか。預言者を一人ではなく、複数の預言者たちを送られたことにも主の愛がうかがわれます。だからこそ、2歴代33:13に記されているように、後に彼が悔い改めたとき赦されたのです。どんな罪人でも悔改めれば救われるのです。

唄野隆



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