聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     1列王記 19章

「エリヤよ。ここで何をしているのか。」
                  (列王記1 19:9,13)

アハブ王が、王妃イゼベルに、エリヤがしたことすべて、バアルの預言者たちを皆殺しにしたことを告げたとき、イゼベルは、エリヤに、お前を殺すと伝えました。それまで主を見上げて雄々しく戦ってきエリヤが、どうしたことか、イゼベルを恐れて逃げ出しました。バアルの預言者たちとの戦いで心身ともに消耗し尽くしていたのでしょうか。そのエリヤを、主は眠らせ、食べさせ、神の山ホレブに導かれました。主は精神主義者ではありません。疲れた働き人には、叱咤激励ではなく、休みと食べ物を与え、親しく語りかけられたのです。疲れると、エリヤでも、“自分はこんなに主に忠実に働いたのに、イスラエルは逆らい、私のいのちを求める、私ひとりだけ残った”と主から目を逸らし、自分と周りの人々を見るだけになりました。そういうエリヤに主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と聞かれました。主を見上げ、主の前で自分自身を見るように導かれたのでしょう。そして主ご自身のみ声を聞かせられました。それは大風の中でも、地震の中でも、火の中でもありませんでした。大声ではなく、静かなみ声でした。私たちにも、主は、心の奥深く、静かに御声を聞かせられることがあります。主のご本心を聞くには、心を静めて主の沈黙の声を聞きわける心の耳が必要です。このとき、主は、アラムの王も、イスラエルの王も、主のみことばを取り次ぐ預言者の働きも、すべてをみ手の中に納めておられる主であることを示されました。大事なのは自分でも人でもなく、主なのです。そして、主のご本心を聞き分ける耳です。

唄野隆



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