聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                    2サムエル記 1章

「彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。」
                   (2サムエル記 1:12)

 ダビデがアマレク人を打ってツイケラグに帰って三日目、ひとりの若者が来て、ダビデにサウルの死を伝えました。サウルがダビデを憎んで殺そうとしていたことを知っていて、サウルの死を伝えれば、何か褒美をもらえると期待していたようです。しかし、ダビデは、主から油をそそがれてイスラエルの王とされたサウルを大事にしていました。自分にとってどうかではなく、主がイスラエルの王とされたサウルを大事にしたのです。ですから、その若者が自らサウルに手を下して殺したと本人が言うのを聞くと、彼に死刑を課しました。自分にとってどうかで物事を判断するこの世の価値判断と、主を第一に考える姿勢とがぶつかった出来事でした。私たちは何が大事だと考え何を第一に求めているか、を問われます。ダビデはサウルに苦しめられましたが、主に油をそがれたイスラエルの王としてサウルを大事にしていました。ですから、サウルの死を嘆いて、彼のために哀歌をささげました。しかしここには賛美がありません。ダビデが主の油注ぎを大事にしたことには政治的意図が紛れ込んでいたのでしょうか。しかし、その哀歌の中で、ヨナタンが深く愛してくれたことを歌った部分には純粋なものが感じられます。主を崇めることで共通の基盤を持ち、そのうえで女の愛にも勝る愛を注いでくれた、と深い感謝をこめた哀悼の思いを歌いました。同じ主を信じ、恐れ、喜ぶことを共にし、尊敬しあう者たちの間にはこんなにも美しい交わりが育つのです。 

  唄野隆



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